


昭和36年のアサヒカメラ3月号、ニューフェース診断室では「これだけの性能を持った単体シャッターであるからには、レンズシャッター同様に”コパルスクエア”という名前をカメラの一部分につけてもよいのではなかろうか。」とあり、それに対してコニカは「すでにコパル光機との間に了解が成立しましたので、まもなく”コパルスクエア”の名前がFSとともに広くみなさまの目にとまることになると思います。」とある。それを反映したのがFSの後期型になるようだ。
35mフィルムの画面は36×24mmだからシャッターが長辺を走るより短辺を走る方が当然走行時間は短くなる。そんな発想は昔からあったらしい。日本では昭和34年に実用新案、出願人は大阪の茶谷薫重氏のエフシー商会とマミヤ光機の共同。残念ながらマミヤからは縦走行の.シャッターは実用化されず、コパルに任されコパルスクエアとして誕生した。

