品鶴線のD51130と111系横須賀線

鶴見川鉄橋付近ですれ違う新鶴見に向かうD51130と東京行き111系横須賀線(昭和44年)

 昭和44年頃は東海道線と横須賀線は大船から東京まで同じ線路を走ってました。昭和55年に線路分離、横須賀線はD51が走っていた貨物線(品鶴線)を走ることになります。新鶴見操車場の近くにできた新川崎駅もまだありません。東戸塚駅もまだ無くて、長い間東海道・横須賀線の車窓からは、「保土ヶ谷・戸塚間に新駅を」と書いた大きな看板が立っているのが見えました。牛のいるのどかな風景でした。

横浜機関区転車台で方向転換、新鶴見に向かうD51130

 横浜機関区は昭和61年に廃止され、この転車台は本牧市民公園に移設保存されていますが、形も色も当時とは違う感じがします。扇形機関庫はしばらく残っていた気がしますが、気が付くと跡形もなく消えていました。機関庫だけでなく桜木町方面に向かっていた線路もありません。地図で確認するとどうやら操車場のあった辺りから地下トンネルを通って桜木町・根岸方面につながっているようです。桜木町付近から新港埠頭や山下埠頭(山下公園)へ向かう線路もありましたね。赤レンガパークへ向かう汽車道として整備されていますが、新港埠頭(赤煉瓦倉庫)は当時(昭和45年頃かな)は勝手に入れない場所でした。万国橋以外に行く道はなく、万国橋の脇にあった詰め所で「写真を撮りたいんですけど」と言って住所・氏名を書いて入れてもらいました。

大正時代の赤レンガ倉庫と言って信じてくれる方はいますか?
横浜機関区で休む新鶴見機関区所属のD51130

“品鶴線のD51130と111系横須賀線” への2件の返信

  1. JUNCHANJIIJI君:しっかり拝読しました。横浜の貨物線、実物は一度しか見たことないけど懐かしいものを拝見しました。横浜機関区は今の日産あたりでしたっけ。それともスカイビル?鉄道写真は半年で中退し、面白いとは思いつつ、50年近くが過ぎましたね。それを続けているあんたはえらい。
    カメラはすべてお持ちのものですか。すごいね。
    また面白い写真見せてね。

  2. 4/16で9600が赤レンガ倉庫と写っているのがすごく不思議でしたが、4/23で納得しました。
    また面白い写真お願いします。
    そういえば、昭和46年の3月に96を丹後由良まで撮りに行った。あれがてっちゃん卒業。

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