
天気がよかったので今の赤レンガパークへ行ってみた。1~3号岸壁は赤レンガパークの一部であり新港埠頭だったころの面影はあまりない。隣の大桟橋には大型客船の入港はなく、4・5号岸壁は新しくできた横浜海上防災基地になって海上保安庁の巡視船が停泊中だった。

覚えている方もいるか(たぶんいない)と思いますが停泊中の巡視船「あきつしま」は天皇陛下がかつて(2015)ミクロネシアのペリリュー島で戦没者を慰霊した際、宿泊に利用した船です。なぜホテルに宿泊せず船に泊まったかはいろいろ訳があるようですが、その際海上保安庁もがんばってトイレにウォシュレットを装備したそうです。最近これ無いとつらいですよね。平成も最後です。



連結器に注目。これはネジ・リンク式連結器と呼ばれ左右に円盤形の緩衝器(バッファー)がついています。現在、まだ貨物列車などで使われている自動連結器や電車の密着連結器(これもいろいろ種類がありますが私詳しくありません)などとも違います。明治時代イギリスの鉄道にならって使われていましたが大正の末期からアメリカ式の自動連結器に切り替わっています。ですからこの「9600」は明治・大正時代の機関車に見えます。また「9600」のナンバープレートも形式9600(通称キューロク)のトップナンバー(1号機)のプレートです。キューロクは大正2年から製造された初めての国産テンダー式蒸気機関車です。そしてバックの新港埠頭2号倉庫(今の赤レンガ2号館)も明治44年に竣工しています。ですからどう見ても大正時代じゃないのって感じなんですがねえ。鉄ちゃん仲間からは昔の雑誌「鉄道ファン」で同じような写真を見たとか、映画・朝ドラの「旅路」の撮影風景ではないかとかのたれ込みがありましたが、実際私にもよく分かりません。「旅路」よりも後だと思います。はっきりしているのは私が高校一年生の頃、新港埠頭でペンタックスSPで撮った写真だということだけです。大正時代に高校一年生だったら今何歳だよって話ですが、私もまだ100歳は超えてませんし、大正ならペンタックスSPもありませんね。昭和46年の話です。高島線でD51791のさよなら運転をして、横浜機関区に蒸気機関車がいなくなった後です。記憶は定かでないのですが、しばらくして、長野方面からロッドを外したキューロク(ナンバープレートは付いていませんでしたが足回りには本当のナンバーが刻印されていました。その写真も撮ったはずなのですが見つかりません。さがしておきます)が横浜機関区に回送されてきました。そのキューロクが9600に変身したのです。連結器のバッファーもダミー(鋳物の作りもの)です。動く9600を回送して改装して?走らす。どれくらいのお金があればできるんでしょう。完成した動画が見たいです。知ってる方がいたら教えて欲しいです。




当然連結器はダミーなので単機以外はありえないですね。昭和の横浜の風景でした。私としては大正時代は大昔。今の若い人にしてみれば昭和40年代も大昔なんですよね。来週は令和だし。