蒸気機関車の形式はよく知られているD51やC57のように1928年(昭和3年)に制定された形式称号規程によって最初のアルファベットが動輪(動軸)の数、その後ろ二桁が形式番号、その次が製造番号になっているのが一般的である。たとえばD51791は動軸4(Cは3・Dは4)・形式番号51・製造番号791となる。形式番号の50以上はテンダー機関車。10~49はタンク機関車になる。この時点(昭和3年)で旧形式から新形式に移された機関車に9900型D50や18900型C51などがあるが旧形式称号も併存していた。その代表的なものが9600と8620である。旧形式称号では同形式中で最小の番号を形式としている。だから9600は9600形式の1号機、8620は8620形式の1号機となる。大量増備されて8620が8621~8699になって繰り上がって8700となってしまうとそのときはすでに8700という形式の機関車があったので、形式が違ってしまうため百の位の繰り上がる数を一万の位に表示するようにしたみたいだ。ちなみに8600ではなく8620で始まるのはハチロク以前に8550というアメリカ製の形式がありその番号が8610までいっていたので切り上げて8620にしたらしい。
徒然なるままに書いていたら、本当かな、どっかで見たなと思うことがあり、学習し直してみました。
参考文献 臼井重信氏の「蒸気機関車の系譜図」交友社 久保田博氏の「懐想の蒸気機関車」交友社

単純に8620の753号機とはならないんだけどそんな感じかな。近くの黄金咲き崎不老ふ死温泉へ行くために12月に立ち寄ったら、雪の季節はブルーシートがかけられていました。大切に扱われているようでうれしいです。この機関車は動ける状態にする計画が有ったようですがどうなったんでしょう。五能線で混合列車を引く姿(それは無理ですね)を夢に見ます。


中学を卒業した春休み信州方面に撮影旅行。美しい長野のハチロクに感動した。五能線や花輪線にも行きたいと思ったが、ハチロクが現役時代には叶わなかった。


塗装しないで生地のままなのは自分の下手な塗装をするよりこの方がかっこいいかなと思うのと、廉価版のようにシリンダーブロックがダイキャスト製ではないことをアピールしたいかな。