ミノルタSRシリーズの話

ミノルタ初の一眼レフミノルタSR2

   1958(昭和33)年ミノルタの最初の一眼レフSR2が発売される。クイックリターンミラーでセルフタイマーも搭載した高級機だった。何故最初が1ではなくて2なのか不思議だが、後にシャッタースピード最高速を1/500にスペックダウンした普及機のSR1が発売されている。

 SR2はシャッターを押してフィルムを巻き上げると絞りが開放になるタイプで完全自動絞りとは言えない。シャッターダイヤルは引き上げて回転させるタイプでクリックストップではない。レンズ付きの丸いフィルムカウンターが巻き戻しクランク側にある。巻き上げると順算していく。今(昭和40年代以降かな?)の一眼レフでは当たり前の巻き戻しレバーを引き上げると裏蓋が開くタイプ(ロックはなし)。ニコンFやニコマート、キヤノンやペンタックスの初期の一眼レフも違いますが、ニコンはF3から、キヤノンはF-1から、ペンタクスはSPからこのタイプですね。結局売れ筋はスペックダウンした普及機のSR1だったようです。

SR2と初期のSR1(シャッターダイヤルがクリックストップになった2代目の機種)

 最初は外付け露出計は用意されてなかったので、どちらもロゴは巻き上げレバー側にある。

SR2の改良モデルSR3

 シャッターダイヤルに連動する外付け露出計(セレン光式)が装着可能になったSR3。ロゴは巻き戻しクランク側へ移動。メーターを装着してもロゴが見えるのがキャノンフレックスR2000と違うところですね。発売された翌年には完全自動絞りに改良され、レンズも変わることになった。シャッター最高速は1/1000秒。

SR1+メーターⅡ型とSR3+メータⅠ型

 すかさずSR1もシャッターダイヤルに連動する外付け露出計(セレン光式)が装着可能になり、どちらも完全自動絞りとなる。SR1のシャッター最高速は1/500秒のまま。この時期までレンズ付きの丸いフィルムカウンターはまだ巻き戻しクランク側にあってこれが結構見やすい。「CHIYODA KOGAKU」(ミノルタカメラの以前の社名千代田光学精工。ミノルタはそのカメラのブランド名だった。)の刻印が巻き上げレバー側にあるのもSR2と同じです。そう言えばミノルタももう無いですね。ミノルタとはかつて日本に存在したカメラメーカーでって説明がいる人は、これ読んでないですよね。

SR1最後期(フィルムカウンターが四角く巻き上げレバー側、MINOLTA CAMERA刻印)と中期?(外付け露出計装着可、完全自動絞り、シャッターダイヤルクリックストップ、)

 1962年にミノルタSR7というCdS露出計内蔵の一眼レフが発売される。これはミノルタSRシリーズの7代目らしいが、SR4、SR5、SR6というカメラは存在しない。SR2やSR3を飲み込むようなSR1のマイナーチェンジも数えての7代目なのかなと思います。

ニューSR1+メーターⅢ型とニューSR1s

 私がペンタックスSPを購入した頃、ミノルタの主役はTTL測光のSRT101でしたが、露出計を内蔵しないニューSR1sという機種がありました。今見てもスマートなかっこいいカメラだと思いますが、当時のペンタックス党では「ミノルタは本社が大阪だからな。」の一言で欲しいし、いじりたくても興味のないふりをしていました。関東の人間は大阪より東京と思っていましたね。でも、本社が大阪市中央区安土町と聞いて、安土桃山時代からあるのかと感心したりしていました。バカな中学生でした。

アサヒペンタックスとミノルタSR

 昔、私が中学生の頃(昭和40年代中頃)、東急東横線の反町駅に近い泉町の交差点付近に二件の古本屋がありました。カメラ雑誌や鉄道関係の雑誌を見たくて通っていました。当時は電車賃節約のため横浜駅西口から徒歩です。カメラ雑誌は今もある「アサヒカメラ」・「日本カメラ」以外に「カメラ毎日」というのもありました。別冊で「カメラ・レンズ白書」があり「アサヒカメラ」のニューフェイス診断室同様、最新カメラやレンズのテストレポートが載っていました。当時古ぼけたアサヒカメラの特集に「アサヒペンタかミノルタか」というのがあって、私としてはペンタックスSPとミノルタSRT101の比較かなと思ったのですが、開いてみるとペンタックスはS3ミノルタはSR3かSR1(不確かですが外付け露出計が付くタイプだったと思います)。どちらも現行機種ではなくてがっかりした思い出があります。私がペンタックスSPを購入した頃、S2(スーパー)はカタログに「ロングランのS2」といって載ってましたが、随分古くさいカメラだなあという印象でした。S3はS2の後のはず(番号からして)なのに何故カタログに出ていないのか不思議に思いました。しばらくしてカメラ雑誌を読みあさり、その辺が分かるようになったのでまとめておきます。

ペンタックスKの普及版として発売されたペンタックスS2。「一軸不回転」を初めて導入Kにあった全面の低速ダイヤルは無くなった。 

 ペンタックスS2はシャッタースピード最速は1/500秒。レンズは半自動絞り(シャッターを押すと設定してあった絞り値まで自動で絞り込まれるが、手動でレバーを操作しないと開放には戻らない)のオートタクマー55mm F2

左がS2(初期)右がS3 シャッタースピード最速1/1000秒 シャッターダイヤルのTの位置に外付け露出計と連動させるための切り欠き(溝)がある。

 S3はS2の後継機でシャッタースピード最速1/1000秒。外付け露出計「ペンタックスメーター」を装着できる。レンズは外観はスーパータクマーと同じような完全自動絞りのオートタクマー55mm F1.8

ペンタックスメーターを装着したS3

S2の性能、機能を強化した後継機S3ですが、なんとS3が発売されると、S2にもペンタックスメーター連動用の切り欠き(溝)がシャッターダイヤルにつくのです。それだけでなく、しばらくして、なんとシャッタースピードも最速1/1000秒になって、完全にS3を飲み込んでしまうのです。こんなことが2~3年の間にあったのです。S3は立場が無くなってしまいますね。性能・機能を強化しつつS2のロングランは続いたわけです。

ペンタックスメーターが付けられ、シャッタースピード最速1/1000秒になった後期のS2 レンズはスーパータクマー55mm F1.8

 我が家にも一台あったのですが、ペンタックスメーターが付けられるようになり、シャッタースピード最速1/1000秒になる前に、シャッターダイヤルには1/500までしかないのに1/1000の位置にクリックがありそれなりのシャッターが切れるS2がありました。うわさではきちんと1/1000秒が出るのがS3用、怪しい(不合格)のがS2用にしたのではないかというのです。まあ、二種類作るよりもその方が効率がよいのかも知れませんね。新機能やグレードアップで新しい機種を出すだけでなく今までの機種に取り入れていく姿勢というのが、今の時代にはない、とてもすばらしいものに感じるのですが、手作りではない今の大量生産の工業製品には望んでも無理なことなのでしょう。

S2の最終形S2スーパー 自動復元式のフィルムカウンターが装備される

 SPやSLが発売されてもS2(スーパー)のロングランは続きました。セルフタイマーを組み込んだSVを残さずにS2を残した理由は何だったんでしょう。異様に長生きだったS2と同じようなカメラがミノルタにも有ります。次回はミノルタSR。

ニコンFと外付け露出計

左がニコンメータ2型、右がニコンメーター3型を付けたニコンF

 1959(昭和34)年6月ニコンF発売と同時に初代ニコンメーターは用意されていた。翌1960(昭和35)年にニコンメーター2型。翌1961(昭和36)年にニコンメーター3型と発展する。いずれもセレン式で電池は不要。ニコンFのネームプレートにクランプで固定する。ニッコールオートレンズに付いている露出計連動爪でレンズの絞り値をメーターに伝達する。シャッターダイヤルとレンズの絞り両方に連動する「世界初の画期的システム」と宣伝されたらしい。また、その翌年1962(昭和37)年外光式CdS受光素子を組み込んだニコンFフォトミックが発売された。これはMR9水銀電池2個を使う。この前期型は電源スイッチが無く受光部に遮光の蓋をするだけで、電池ボックスはアルミ製の蓋だった。翌1963(昭和38)年に電池ボックスのは蓋は受光コンバータと入射式アダプターをねじ込んで保管することのできる樹脂製の物に改良されている。この時期は実に毎年改良が加えられ国産カメラの黄金時代の始まりのような気がする。

左は受光コンバータと入射式アダプターをねじ込んで保管することのできる樹脂製の電池ボックスのふたが付いた後期型、右が電源スイッチが無く受光部に遮光の蓋をするだけの前期型(受光部の蓋をあげた状態)

 また、その翌年1962(昭和37)年外光式CdS受光素子を組み込んだニコンFフォトミックが発売された。これはMR9水銀電池2個を使う。この前期型は電源スイッチが無く受光部に遮光の蓋をするだけで、電池ボックスはアルミ製の蓋だった。翌1963(昭和38)年に電池ボックスのは蓋は受光コンバータと入射式アダプターをねじ込んで保管することのできる樹脂製の物に改良されている。この時期は実に毎年改良が繰り返され国産カメラの黄金時代の始まりのような気がする。

右のニコンメーター3型はニコンFフォトミックT(1965)フォトミックTN(1967)が発売されてからもカタログに載っていたそうだ

ニコンメーター3型はニコンFフォトミック1962(昭和37)年・フォトミックT1965(昭和40)年・フォトミックTN1967(昭和42)年が発売されてからもカタログに載っていたそうだ。どんな人が購入したのだろうか。Fのアイレベルファインダー付きを購入したけど露出に自信のない人、フォトミックファインダーは高くて買えない人。どちらにしてもCdS露出計を組み込んだTTL開放測光のフォトミックT・TNファインダーの方がいいなあ。だってどう見てもかっこわるいでしょ。三角頭巾の上にFの刻印を隠すようにハチマキしているようですよね。ニコンFの美しい形態を崩してますよね。言うことが一貫して無くて恥ずかしいですが、ニコンFは外付け露出計よりアイレベルファインダーですね。

相鉄12000系

高島貨物線をDE10に牽引されて回送中の12000系(令和元年5月7日)

 昨年、Aiニッコール105mm F2.5の絞り羽根に油がにじみ、粘っていたので、銀座のサービスセンターで、F&ニッコール限定メンテナンスを利用して修理してみた。約2ヶ月預けて、修理代金¥8600+税。納品書の最後にいつものように「この製品は補修用部品の在庫払底の為、再事故の責任は負いかねますので、ご了承ください。」とある。自分では気が付かなかった微細なゴミ、キズ、カビ、よごれ等も指摘してくれる。このレンズも前玉、後玉に微細なキズがあることが指摘されたが自分では見てもよく分からない。修理代金¥8600+税が安いのか高いのかはこのレンズの今後の働きによりますかね。ということで晴れた連休明け、Aiニッコール105mm F2.5をDfに付けて、高島水際線公園に行ってみると、平日なのにいつもと違う雰囲気。歩道橋上に老若男子(女性はいなかった)20名以上。何が来るんだ。期待しちゃいました。

タキ1000を従えてEF210-146が根岸へ ニコンDf Aiニッコール105mm F2.5

「吹田のカマ(機関車)だ。」と言ってました。私の世代では吹田と言えば「城東貨物線」「本州最後のD52」ってイメージです。遠くからご苦労様です。でも、これが本命じゃないみたい。

タキ1000を従えてEF210-117が根岸から ニコンDf  Aiニッコール105mm F2.5

 EF210-117 時間を聞きたくなるような番号だが、最近の若い人は117で時報を聞けることを知らない人が多いらしい。どうでもいいですね。これも本命ではないですね。

タキ1000を牽引するEH200-10ブルーサンダー ニコンDf  Aiニッコール105mm F2.5
根岸へ向かうブルーサンダー

 周囲の反応は薄い。思い切って恥ずかしながら聞いてみた。「みんな何を待ってるんですか?」学生風の若者が相鉄の新型12000系が金沢区の東急車輌から回送されてくることを教えてくれた。12000系は20000系に似ているが(色は一緒)相鉄がJRへ乗り入れるために新製した電車で、全くの新型車というわけでなくJRへ乗り入れるのに都合がよいように、JRで活躍中のE233系をベースにしているらしい。私の実家は羽沢横浜国大駅(令和元年11月開業とされている)より徒歩10分程度の位置なので利用する機会も多いかもしれない。

真打ち登場 DE10 1662に牽引されて登場した相鉄1200系
12102この編成に乗ったときに今日のことを思い出すかな。
Aiニッコール105mm F2.5は問題なしかな。

SLやまぐち

撮影年月不明(たぶん1980年代前半)    ニコンF2AS Aiニッコール85mmたぶん

 古いネガ(古いと言っても学生時代ではなく、就職してからなので40年くらい前かな、十分古いか?)を整理していたら、これはSLやまぐち。集煙装置付きのC571。ノーマルの12系。国鉄時代ですね。

当時はまだ小郡駅でしたね。実家が湯田温泉の近くにある大学時代の友人と小郡で待ち合わせて、彼の車で津和野方面に向かったような気がします。
よく見ると踏み切りで待つ車はコスモAP。そんな時代ですね。

 この集煙装置付きのC571。集煙装置は形態を崩すと言って嫌う人もいるが、私は嫌いじゃない。と言うか結構好き。ニコンFも「アイレベルファインダーじゃなくちゃFじゃない。」とか言う人もいますね。シンプルなのも美しいですが、AR-1付きフォトミックFTNもかっこいいですね。ごちゃごちゃいろいろ付いているのも好きなんです。高島貨物線でも重油タンクがボイラーの上にのっていたD51130が好きでした。中学生の時、九州撮影旅行の帰りに寄った、関西本線亀山機関区で集煙装置+重油タンクのC57を車窓から見て、走っている写真を撮りたかった。

集煙装置+重油タンクのC5726 亀山機関区にて
山陰本線旧保津峡駅を出発する客車列車  昭和45年 夏
ニコンFフォトミックFTN AR-1付き ごちゃごちゃしているところが集煙装置+重油タンク付きのC57みたいな感じ。

やっぱりニコンF

ニコンF725~ ニッコールSC 50mm F1.4   ニコンF647~ ニッコールS 50mm F1.4

 ニコンFは1959年(昭和34)6月に発売され、同年9月アサヒカメラ ニューフェース診断室で、頂上がとがったプリズム部が、「全面だけ白いのは亡者のマークの三角布のようで縁起が良くない」とあるドクターに評されています。(誰かは分かっていますが)亡者の三角布というのは亡者頭巾とか三角頭巾と呼ばれるもので、確かに昔は喜劇やコントでも、白い着物に白い三角を着けていれば幽霊だと分かったものですね。最近の葬式ではあまり目にしませんが、専門家?に聞くと(私の同級生には様々な専門家?がいます)宗派にもよるが今も紙の六文銭(三途の川の渡し賃)などとセットで有るようです。でも、着けずに棺に入れる場合が多いらしいです。私も終活として持っているカメラや鉄道模型、写真をきちんと整理したくてこのブログを始めたわけですが、ここで私は棺に入るとき三角頭巾は着けないことを遺言として残しておきたいと思います。だって白い着物に白い三角だと私たちの世代では喜劇に出てくる幽霊みたいで、見たとたん吹き出す人がいるのではないかと心配だからです。まあ、知性で売っていたアサヒカメラ ニューフェース診断室で「縁起がよくない」といった知性を疑わせるような言葉が見受けられるのは遺憾でありますね。

ブラックボディーにしておけば、そんなこと言われないですね
ニコンFとニコンF2のアイレベルどちらが縁起が悪いでしょう?

 直線的な三角にFの文字が有るFと曲線的でFの文字が無いF2では、私はF2の方が亡者の三角頭巾のようなイメージがあって縁起が悪いような気がするのですがいかがでしょう。知性のない内容で申し訳ありません。

 ニコンF2は1971年(昭和46)に発売され、同年12月のアサヒカメラ ニューフェース診断室で取り上げられているが、その際、縁起が悪いかどうかは記されていない。もっとも取り上げられたのは測光回路の電源電池やスイッチ機構をボディー側に移した、ニコンF2フォトミックでアイレベルファインダーは出てこない。あっ、F2のフォトミックファインダーは黒だけですね。

令和、初撮り、高島水際線公園

根岸に向かう列車を待っていたら、EH200はなんと単機
(令和元年5月3日)ニコンDf  Aiニッコール105mm F2.5

 平成生まれのEH2000。愛称は「ブルーサンダー」鉄ちゃん連中は「ブルサン」と呼ぶらしい。EF210が「桃太郎」EH500が「金太郎」なら浦島太郎にすれば三太郎が揃うのにと思う人はいないかな。昭和生まれの機関車を駆逐してきたのだろう。私がまだ小学生の頃EF90という試作機関車の写真を見て、こんなのが本当に走るのかと感動したものだった。後にEF66となり、特急寝台まで牽引することになる。EF58、EF65 500番台、EF65 1000番台、EF66とそれぞれ20系に始まる寝台特急を牽引した機関車で、それなりに似合っていたと思うが、電気機関車に興味の無かった私は一切写真を撮っていない。

梅小路機関区のC5715とDF50564(昭和45年夏)
旧保津峡駅ですれ違うC57牽引の旅客列車とD51牽引の貨物列車

 数年前に京都鉄道博物館(旧梅小路蒸気機関者館)がリニューアルオープンしてEF6635が常設展示されるという話を聞いた。私が訪れた45年頃は山陰線の旅客列車を牽引するC57や貨物列車を牽引するD51で賑わい、C11や8620も現役だった。50年が過ぎてEF66を見に行くとは思わなかったなあ。

保津峡を行くC57牽引の下り旅客列車(昭和45年夏)

 話を元に戻して令和の初撮り第二弾はEF210牽引するタキ1000は僅か6両。連休中は石油使わないのかな。

タキ1000少なすぎ (令和元年5月3日)
ニコンDf Aiニッコール35mm F2

令和ですが昭和の一眼レフの話

カメヤ(押上)のクリームパン
ニコンF ニッコールS 35mm F2.8 とニコンF2 ニッコールNC 24mm F2.8

 ニコンFは1959(昭和34)年6月生まれ、今年還暦ですね。Fについてはたくさんの方が研究されていて今更なんですが、「これはあくまでも個人の感想です」といったレベルです。私がFに興味をもったのは1980(昭和55)年辺りからですからすでに発売から20年以上たったカメラでした。中学校の写真部時代「セルフタイマーのレバーが仏壇の金具みたいだ」「シャッターボタンの位置が人間工学的じゃない」などと散々バカにしていたのですが、これは当時のペンタックス党の党首として絞り込み平均測光、ネジマウントのペンタックスを擁護するための発言でした。でも、今でもペンタックスSPのデザインはすばらしいと思っています。私が言っていたシャッターボタンの位置やセルフタイマーのレバー(ニューF・F2では樹脂製のカバーが付いた)の件はF2では解消されていましたが、何故、古いFに惹かれたのでしょう。自分でもよく分かりませんが、たぶん子どもの頃ピーマンや春菊が大嫌いでもも、大人になるとピーマンの入った酢豚や春菊天そばもおいしく食べられるようになるのと同じ感じかもしれません。

大人の味、春菊天そば(文殊 両国)カテゴリーが違うかな?
左からF672~ F725~ ニューF741~

ニコンFは、大雑把な分け方では、初期、後期、ニューFと三つのタイプがある。初期と後期は、軍艦部の巻き上げレバー側にあるロゴが日本光学マークかNikonの文字かが分かれ目になるようだ。この光学マークは「奴さん」とか「富士山マーク」などと学生時代は呼んでいたが、ニコンの方に「これは富士山ではなくプリズムとレンズをデザインしたものです」と注意された思い出がある。専門家?の分類によるとセルフタイマーのレバーや、Tファインダー、FTNファインダーの取り付け可など様々な変化があるが、ニコンでは新しい変更に対応した改造を受け付けてくれていたので、中古で購入したFはオリジナルであるのか見極めるのは難しいようだ。

左からニューF741~ F725~(Nikon) F672~(光学マーク)
 

 軍艦部巻き戻しクランク側にある7桁の番号(製造番号・製品番号・ボディー番号などと呼ぶ)によって、67~中期辺りで変わるようだ。アイレベルファインダーの接眼部が長方形から分厚い正方形の枠に中が円形になっている。押しにくかったファインダーの着脱ボタンの枠に横溝が入っているのも分かりやすい変化だ。

アイレベルファインダーの接眼部の形やファインダー着脱ボタンの枠の変化が分かる

参考文献 カメラレビュー ニコンF40年 朝日ソノラマ