
C12をテンダー機にした形式で、寸法・構造とも共通点が多い簡易線向けのためバック運転を重視して、その際の見通しをよくするためにテンダーが独特の形態をしている。1935年~1939年まで160輌が製造されたが、第二次世界大戦中に最初の90輌が軍用として外地に転出した。戦場にかける橋のタイとビルマを結ぶ泰緬鉄道で活躍した2輌が帰還している。1輌は九段の靖国神社遊就館に静態保存されているC5631。もう1輌は大井川鉄道のきかんしゃトーマスのジェームズ号として運転されたC5644である。国内では91号機がファーストナンバーになる。これは九州の吉松機関区に在籍していた。



泰緬鉄道のこと
泰緬鉄道と言えばクワイ河や「戦場にかける橋」を思い浮かべますが、映画はフィクションのようです。難工事で現地で強制徴用された労働者や捕虜の連合軍兵士が劣悪な環境と労働条件の中たくさん亡くなったのは事実ですが、イギリス軍の将校が指揮をして橋を完成させるなんてことはありえない事です。ビルマを植民地にしていたイギリスがかつてこの鉄道を計画し、無理だとあきらめた工事を日本軍が完成させたようです。建設の主体は陸軍の鉄道連隊。編成地は千葉県津田沼にありました。演習線が津田沼~松戸にあり戦後京成に譲られ新京成線になっています。新京成線はくねくね曲がっている路線といわれますが、演習線の頃はもっとくねくね迂回するようなルートだったようです。それは演習線のためある程度の距離を確保するためにくねくね迂回するようなルートにしたようです。鉄道連隊の作業場は現在千葉市の千葉公園になっています。戦場にかける橋を造る演習をしたようなコンクリート製の橋脚も残っている。いくつかの連隊が千葉・津田沼からビルマ・バンコクに泰緬鉄道建設のため派遣されていました。



C56といえば小海線のキャベツ満載の野菜列車や高原列車、大糸線が人気がありましたが、私の印象に残っているのは母の実家がある石川県輪島市(当時は輪島市ではありませんでした)へ行くときの七尾線の赤いナンバープレートのC56です。