
C55の改良型として1937年から製造第一次型は138輌(1~138)。第二次型は31輌(139~169)テンダー台車が鋳鋼製から板台枠に変わった。第三次型は戦後の1946年に20輌(170~189)製造。先輪がディスク輪心に、放熱菅がランニングボードの下に移動、ボイラー上、ドームの前にあった逆止弁が右横に下りた。第四次型は1946・1947年に12輌(190~201)製造。ボイラー内径が太く、密閉キャブ、テンダーは船底形・鋳鋼台車、動力逆転機装備、デフは角を落としたタイプ。1次型と並べるとほぼ別形式のよう。

久保田博氏の「懐想の蒸気機関車」ではC57を優美の象徴機と紹介している。現役末期の頃はよく「貴婦人」と呼ばれていたが、私は恥ずかしくてそんな風に呼んだことはない。まあ、優美。モダンでスマート。大根足とは言わないがちょっとマッチョな足回り。客車を牽いて走る姿がカッコいいです。







C57も延べ50輌近くが重油併燃装置を付けた、理由は石炭事情の悪化や煤煙防止などである。しかしはじめは賞用されても、転属などに起因し装置の活用を中止し、竜頭蛇尾に終わったものが多い。国鉄の得意わざでもある。(臼井茂信著 機関車の系譜図4)
集煙装置や重油タンクは優美なC57の形態を崩すと言って嫌う人も多いと思いますが、私は結構好きです。カメラだとニコンFのアイレベル付きは美しいがフォトミックFTNファインダーにソフトシャッターレリーズAR-1を付けたごちゃごちゃしたのも好きというのと似ています。(わかるかな)


ついでにもう一つコメント。
てっちゃんは君といった半年しか経験がないので、SL19形式は半分も動いているところを見ていない。今思えば、もう少し見たかったかな。
昨年、草津でゴルフの帰りに特急電車で渋川に停まった時にホームに人だかりができていました。何かと思ったらいわゆる観光列車でC61が牽いていました。C61は初めて見る形式で、妙に感激しました。