
大正3年(1914)~昭和5年(1930)の17年間に687輌が量産された。9600(貨物用)4110(急勾配用)といった一連の大正時代の国産標準機で急行旅客用とされていた。前記のC11、C57などの形式称号は1928年(昭和3年)に当時の鉄道省が制定したもので、その直前までは1909年(明治42年)に制定された数字のみを使用して表記する形式称号規程が使用されていた。8620や9600のように昭和3年以降も旧表記をそのまま使用した機関車もあるし、18900形➡C51、9900形➡D50のように新形式称号に変わった機関車もある。

8620は東北の五能線・花輪線や九州の松浦線が有名だった。どちらも横浜の中学生が撮影に行くには遠過ぎた。何年か前、憧れの五能線を旅してみたが不老不死温泉の最寄り駅ウェスパ椿山の駅前に日立製作所製78653が保存されていた。動態保存の計画も有るように聞いていたがどうなってしまったのか。数か月後、雪のある季節にウェスパ椿山を訪ねてみたら78653は青いシートに包まれていた。大切に保存されているようで安心したが五能線を混合列車を牽引して走る姿(ありえないか)を見てみたいと思った。因みにこの78653は五能線を走っていた機関車ではなく、日立製作所所縁の茨城県常陸大子区や平区に在籍していて水戸市に保存されていたものを譲り受けたらしい。


五能線は「リゾートしらかみ」というリゾート列車が走り、大人の休日倶楽部パスの時期はなかなか予約が取れない。花輪線には「十和田八幡平四季彩ライン」という二時間ドラマなら絶対殺人事件が起こりそうな愛称がついている。三重連をめあてにファンが押し寄せた龍ヶ森駅は今はなく。安比高原駅となっている。








次回はC50かな