現有19形式 ⑪ 日本の代表蒸気 D51

 D51は国鉄の機関車の中でも最も多い輌数が生産され、日本中で最後まで多数が活躍した機関車である。昭和40年代中頃、C62やC57 牽引の旅客列車を狙うファンからは犬のクソ扱いされるような存在でもあった。C62重連の急行ニセコを狙って遥々北海道まで行って、やっと来たと思ったら、どういうわけか重連の前がD51だった時は石を投げたくなったと言う友人もいた。機関車に石を投げてはいけません。

横浜機関区扇形機関庫の前で転車台に重油併燃装置付D51130
昭和45(1969)年12月29日
D51130は長岡から新鶴見に配属されてきた。高島線では唯一重油タンクをドームの後ろに付けて(テンダーについているタイプは他にもいた)いた。
鶴見川鉄橋手前で111系横須賀線とすれ違うD51130。当時横須賀線は東海道線の線路を走っていた。現在はD51の走っていた貨物線を走っている。鶴見駅を過ぎた辺りで新しくできた羽沢横浜国大方面に分岐する。 昭和45(1970)年1月6日
新小岩のスターD5121汽車会社製造山北に配属御殿場線で活躍。新鶴見に在籍したこともあった。 首都圏では私が撮影した唯一のナメクジだった。鋳鋼製テンダー台車や煙室前端が丸味をもっているのがわかる。Wシールドビームですが。昭和45(1970)年1月15日 新小岩機関区 
給炭完了で入換作業に向かうD5121 
昭和45(1970)年1月15日 新小岩機関区

 D51は1936~1945年にかけて1115輌が製造された。国鉄最初の箱型輪新(ボックス)動輪を採用しC57と並び近代国鉄形蒸気を確立させた貨物用機関車である。1936~1938年に製造された95輌は、煙突、給水温め器、砂箱、蒸気ドームを一体にカバーした通称ナメクジタイプである。(その内2輌はキャブまで延長通称スーパーナメクジ)丸味をもつ煙室前端、動力逆転機、鋳鋼製テンダー台車などの特徴がある。量産機は1937~1944年にかけて859輌が製造された。ドームは普通の一体型、給水温め器は煙突前方(おでこ)に横に、逆転機は一部を除いて手動式に戻った。テンダー台車も大部分は板台枠。1944~1945年は戦時設計で161輌。船底形テンダー、ドームの簡素化(蒲鉾形ドーム)、ディスク先従輪などの特徴がある。

D51って何輌あるんだっけと考えてしまうD511150 立派なカマボコドームだがこの写真では確認できない。昭和46年3月
Ⅾ511062は1000番台でも標準ドームだった。筑豊本線 昭和46年3月

 Ⅾ51は1115輌が国鉄に在籍していたが955~1000は欠番になっている。戦時型を1001から付番して区別している。そのため国鉄D51のラストナンバーは1161(日車製1967年東能代区で廃車)になる。筑豊本線ではD60 以外にも様々なD51 と出会うことができた。

筑豊本線のナメクジ D5142汽車会社製 東北時代は重油併燃装置付きだったが直方で取り外されたようだ。

D51の原設計の特徴、煙突、給水温め器、砂箱、蒸気ドームを一体カバーに収めた半流線形はとても斬新なデザインだと思う。しかし、後の基本設計では重量配分の改善と給水温め器の検修の理由で昭和13年度以降の新製より給水温め器を煙突の前に置くように変更された。給水温め器の位置は配管や点検・検修ののためには前デッキ上が望ましいわけだが、D51の前デッキには先台車のバネ装置があるため、煙突の前に置かざるを得なかったようである。よって日本の蒸気機関車の代表・代名詞デコイチはオデコに給水温め器を付けた姿が普通のデコイチということになっている。だから私は1次型をデゴイチ、標準型・戦時型をデコイチと呼んでいる。デゴイチ、デコイチどっちでもいいですね。

Ⅾ5110川崎車輌製 新製後鳥栖に配属終始九州の罐 直方区最終在籍蒸気の1輌 行橋市で保存されていたが、のちに直方汽車倶楽部が引き取り修復作業中 昭和46年3月
菜の花と団結D511155 川崎車輌製 昭和46年3月
ピースマークのD51906三菱重工業製後藤式集煙装置付きとD51614日本車両製鷹取式集煙装置付き 関西本線加太駅
D51906 集煙装置(この集煙装置は鷹取式に似ているが後藤式の後期型らしい)と重油タンクで目立たないがカマボコドーム。1000番台ではありませんが、D51はいろいろあります。準戦時形と言われる106輌 D51746・747 846~949号で量産形から戦時形に移行する過渡期のD51。D51906はデフに煙草のピースの鳩マークを付けた機関車。近畿圏の臨時旅客列車牽引によく駆り出されていたようだ。この時は青いスハ43系だったが、12系やオールグリーンの臨客も牽引している。

夜のD51

D51549 中央西線塩尻駅にて長野工場で新製 当然長工式集煙装置昭和45年篠ノ井線お別れ列車を牽引。 長野市に保存されている(長工式集煙装置は取り外し済)昭和46年3月
D51402 日車製長工式集煙装置付き中央西線塩尻駅にて  
昭和46年3月
キャブに乗せてもらって火室を撮影、夜だから周りは何だかわからない。
天賞堂製C622と並ぶ北海道形切り詰めデフのアダチ製D51 (本物とは逆にD61を一軸従台車化したもの)
カツミシュパーブラインのⅮ51を北海道タイプの切り詰めデフに交換。ロストワックス製パーツを付けた。

新鶴見所属横浜機関区のⅮ51

D51652日立製作所製 新製後山北区(山北区廃止後は国府津区)御殿場線で活躍していたらしい。その後新鶴見区所属昭和46(1970)年8月に廃車。神奈川県内で一生を過ごした機関車だった。昭和46(1970)年1月
給炭中のⅮ51451汽車会社製 昭島市昭和公園に保存されているが状態はあまりよくないらしい。 
昭和45(1969)年12月29日
横浜機関区給炭台前のドーム後ろの重油タンクⅮ51130とテンダーに重油タンクのⅮ51723日立製作所製
転車台上のⅮ51130日立製作所製 昭和46(1970)年1月

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