昭和は遠くなりにけり

 年代不詳のネガを整理していたら出てきた機関車。私が高校生になった昭和46年頃、D51791の高島線さよなら運転が終わってからの撮影だと思われる。当時鶴見線界隈の工場には現役の蒸気機関車がまだ居るというたれ込みがあって、ペンタックスSPを持って鶴見線に乗った記憶がある。浅野駅付近の塀の隙間から機関車が見えたときはうれしかった。

鶴見線浅野駅近くの日本鋼管(今の社名はなんだっけ)で働いていた機関車

 工場の守衛のおじさんに許可をもらい、構内に侵入。C12よりまだ小さいタンク機関車。国鉄型の機関車にしか興味がなかった私だったが高島線のD51が姿を消しても横浜市内にまだ蒸気機関車が働いていることがうれしかった。

令和開幕 私がヤフオクに出品しているC12キット組立品です。誰か買ってください。

 令和となり改めて鶴見線に乗ってみることにした。鶴見から一つ目の「国道」ここは横浜の寿司屋さんが買い出しに来る生麦魚河岸の最寄り駅。国道一号線(現在は国道15号線)と鶴見線の交差するところだから「国道」わかりやすいというか安直。横浜に住んでる人には常識なんだけどこれが一国(第一京浜国道)旧国道1号線で現在は国道15号。旧国道1号線のバイパスとして作られたのが二国(第二京浜国道)が現在は国道1号線。フランク永井の「夜霧の第二国道」はここのこと。二国の方が一国よりも景観が良いというかお金がかかっている感じがしますが、二国は1940(昭和15)に開催予定だった幻の東京オリンピックのマラソンコースにする計画があったらしい。鶴見区の響橋(めがね橋)が折り返し地点。響橋といえば手塚治虫の「バンパイヤ」の最初のシーンにも出てくる。二国のバイパスが第三京浜。

 国道は通り過ぎて、「弁天橋」はテレビでやってるダッシュ海岸の最寄り駅。実際は旭硝子(今の社名はAGCだっけ)の私有地なので許可がなければ入れない。

 そして浅野。なんと無人駅になってました。「海芝浦」へ行く支線と「扇町」方面と分かれるのでホームが三角になっていてきれいな花壇が印象的だったんだけど、夏草や兵どもが・・って感じでした。浅野はこの辺り、京浜工業地帯を埋め立てた浅野財閥、浅野セメント、浅野学園の浅野総一郎に因んだ名前ですね。

調べたら日本鋼管は川崎製鉄と統合JFEスチールになっていた。浅野駅からの専用線も無くなっていた。

 次は「安善」。昔、工場地帯だから安全を願っての駅名かと思っていたけど、安田財閥の安田善次郎、略して「安善」らしい。次が「浜川崎」。南武線に乗り換えることができる。でも南武線の「浜川崎」と鶴見線の「浜川崎」は別の駅。これは国鉄に編入される前は南武線は南武鉄道、鶴見線は鶴見臨港鉄道と別の私鉄だったからです。

浜川崎の次は昭和

昭和まで遠かったですね。やっと昭和です。

なんか昭和の駅の佇まい。

「昭和」の駅名の由来は、改札を出るとすぐに門がある昭和電工。その元になった昭和肥料という会社があったかららしい。

昭和は遠くなりにけり