C57127のこと

山陰線旧保津峡駅を出発する梅小路機関区所属C57127牽引の旅客列車 昭和45年7月

 今回中学生時代(50年前ですね)C57の写真を整理していたら、不思議なことに気づきました。昭和45年の夏、保津峡で出会って撮影したC57127が、昭和46年3月に九州、日豊本線で撮影した写真にも登場しているのです。

昭和46年3月に九州、日豊本線で再び出会った宮崎機関区所属C57127

 気になってC57127をググってみると、確かに「昭和46年春の山陰本線京都口のDL化で梅小路機関区からC57127が宮崎機関区に転属してきた」旨を記載してあるブログを見つけました。ここまでは特にそれほどすごいことではないのですが、なんと、なんとそのブログの主が私の大学時代の友人、大分在住のO君だったのです。O君とは大学時代、授業をサボって毎日のように麻雀をしていた仲間です。彼が筋金入りの鉄ちゃんであることは知っていましたが、毎日顔を合わせてもC57の話をすることはまったくありませんでした。中学・高校の時に同じ機関車を追いかけていたことを全く知らず、数年後大学4年間毎日のようにつるんで過ごし、四十余年後にそれに気づくとは。O君の家には学生時代は実家に彼が結婚してからも新居に泊めてもらい城下ガレイ等をごちそうになったことがあります。これをネタにまた、関サバあたりをごちそうになりに大分まで行きたくなりました。彼のブログによるとC57127は宮崎機関区の在籍は短く、47年10月時点で鹿児島機関区の配置になったようです。

現有19形式 ④ C57 優美の象徴機

梅小路機関区にてC5715(一次型)  DF50とともに 梅小路蒸気機関車館になる以前 昭和45年7月

 C55の改良型として1937年から製造第一次型は138輌(1~138)。第二次型は31輌(139~169)テンダー台車が鋳鋼製から板台枠に変わった。第三次型は戦後の1946年に20輌(170~189)製造。先輪がディスク輪心に、放熱菅がランニングボードの下に移動、ボイラー上、ドームの前にあった逆止弁が右横に下りた。第四次型は1946・1947年に12輌(190~201)製造。ボイラー内径が太く、密閉キャブ、テンダーは船底形・鋳鋼台車、動力逆転機装備、デフは角を落としたタイプ。1次型と並べるとほぼ別形式のよう。

カツミシュパーブラインの未塗装の4次型と塗装済1次型 模型では4次型の方が先に発売されたようだ。

 久保田博氏の「懐想の蒸気機関車」ではC57を優美の象徴機と紹介している。現役末期の頃はよく「貴婦人」と呼ばれていたが、私は恥ずかしくてそんな風に呼んだことはない。まあ、優美。モダンでスマート。大根足とは言わないがちょっとマッチョな足回り。客車を牽いて走る姿がカッコいいです。

3次型C57187 日豊線にて 昭和46年3月
トンネルから出てきたのは4次型のC57192 日豊線にて 昭和46年3月
C571  もちろん1次型オリジナルの12系客車の山口号 
カツミシュパーブラインの1次型に同じくカツミの12系客車を牽かせて
日豊線青井岳にて門鉄デフのC57
客車牽引が様になる青井岳を行く門鉄デフC5736(たぶん)
関西本線亀山機関区で出会った集煙装置・重油タンク付きのC57148 2次型のはずなのでテンダー台車は板台枠のはずなのに鋳鋼製。よくあることでしょうか。
 C57も延べ50輌近くが重油併燃装置を付けた、理由は石炭事情の悪化や煤煙防止などである。しかしはじめは賞用されても、転属などに起因し装置の活用を中止し、竜頭蛇尾に終わったものが多い。国鉄の得意わざでもある。(臼井茂信著 機関車の系譜図4)

 集煙装置や重油タンクは優美なC57の形態を崩すと言って嫌う人も多いと思いますが、私は結構好きです。カメラだとニコンFのアイレベル付きは美しいがフォトミックFTNファインダーにソフトシャッターレリーズAR-1を付けたごちゃごちゃしたのも好きというのと似ています。(わかるかな)

総武線最後のC57105 新小岩機関区にて 昭和45年頃