D51は国鉄の機関車の中でも最も多い輌数が生産され、日本中で最後まで多数が活躍した機関車である。昭和40年代中頃、C62やC57 牽引の旅客列車を狙うファンからは犬のクソ扱いされるような存在でもあった。C62重連の急行ニセコを狙って遥々北海道まで行って、やっと来たと思ったら、どういうわけか重連の前がD51だった時は石を投げたくなったと言う友人もいた。機関車に石を投げてはいけません。

昭和45(1969)年12月29日




昭和45(1970)年1月15日 新小岩機関区
D51は1936~1945年にかけて1115輌が製造された。国鉄最初の箱型輪新(ボックス)動輪を採用しC57と並び近代国鉄形蒸気を確立させた貨物用機関車である。1936~1938年に製造された95輌は、煙突、給水温め器、砂箱、蒸気ドームを一体にカバーした通称ナメクジタイプである。(その内2輌はキャブまで延長通称スーパーナメクジ)丸味をもつ煙室前端、動力逆転機、鋳鋼製テンダー台車などの特徴がある。量産機は1937~1944年にかけて859輌が製造された。ドームは普通の一体型、給水温め器は煙突前方(おでこ)に横に、逆転機は一部を除いて手動式に戻った。テンダー台車も大部分は板台枠。1944~1945年は戦時設計で161輌。船底形テンダー、ドームの簡素化(蒲鉾形ドーム)、ディスク先従輪などの特徴がある。


Ⅾ51は1115輌が国鉄に在籍していたが955~1000は欠番になっている。戦時型を1001から付番して区別している。そのため国鉄D51のラストナンバーは1161(日車製1967年東能代区で廃車)になる。筑豊本線ではD60 以外にも様々なD51 と出会うことができた。

D51の原設計の特徴、煙突、給水温め器、砂箱、蒸気ドームを一体カバーに収めた半流線形はとても斬新なデザインだと思う。しかし、後の基本設計では重量配分の改善と給水温め器の検修の理由で昭和13年度以降の新製より給水温め器を煙突の前に置くように変更された。給水温め器の位置は配管や点検・検修ののためには前デッキ上が望ましいわけだが、D51の前デッキには先台車のバネ装置があるため、煙突の前に置かざるを得なかったようである。よって日本の蒸気機関車の代表・代名詞デコイチはオデコに給水温め器を付けた姿が普通のデコイチということになっている。だから私は1次型をデゴイチ、標準型・戦時型をデコイチと呼んでいる。デゴイチ、デコイチどっちでもいいですね。




夜のD51


昭和46年3月



新鶴見所属横浜機関区のⅮ51


昭和45(1969)年12月29日

