現有19形式 ⑫ 交響曲231パシフィック最終章C59

C591汽車会社製 鹿児島本線熊本電化によるさよなら蒸気下り特急みずほ博多~熊本間牽引 熊本区で廃車 九州鉄道記念館で保存 撮影はO君

交響曲231パシフィックの序章C54はわずか17輌の製造にとどまり感銘を受けなかったが、第二章以降はC55➡C57とゆるやかに盛り上がり最終章C59へと進展していく。D50を継ぐ近代標準機D51が昭和11年に登場。D50と同一グループの大型旅客機C53を継ぐ近代標準機がC59 であるが、その誕生は予想外に遅れた。第一陣のD51に続いて昭和12年に中型旅客機C57 、昭和13年に中型万能機C58 と相次いだが、待望の大型旅客機のC59 が誕生したのは昭和16年でD51 に5年も遅れた。C59 は3シリンダーのC53 をオーソドックスな2シリンダーに戻しているのが第一の改良といえる。そしてD51 、C57 、C58 の近代化標準機の技法を結集した近代標準機のラストを飾る最も洗練されてむだのない最強最後のパシフィック機だったと言える。大型テンダーは国鉄の蒸気機関車の最大記録となっている。私も呉線の旅客用に最後の奮闘をしている姿を撮影したかったがかなわなかった。

C59の特長大型テンダーは国鉄の蒸気機関車の最大記録 九州鉄道記念館
天賞堂製C59127重油専燃機 テンダーが違う
 C59127も新型10系客車を従えて特急かもめ牽引に活躍できなかったものかと思ってしまう。

 1953年神戸にあった国鉄鷹取工場で宮原区のC59127が重油専燃式にテスト改造された。当時輸送力増強のため重油併燃装置の取り付けが、勾配線区のD51などに施行されかなりの成果を挙げていた。C59127は山陽本線糸崎~八本松間での連続上り勾配区間のテストで石炭炊きに比べて約20%の出力アップの高性能を達成し、東海道線電化前の大阪~米原間で北陸線急行ゆのくにを限定仕業でけん引した。東海道線全線電化後は盛岡機関区に移ったが1輌の試作のみだったのであまり使用されず1960年には廃車になっている。1953年3月に京都~博多間の特急かもめが設定され、最初の牽引機はC59だった。C59127も特急牽引に活躍できなかったものかと思ってしまう。

呉線で10系寝台客車を従え急行安芸牽引で最後の奮闘